【作成中】『水からの伝言』の基礎知識【考察編2】

作成開始:2008.02.05.
暫定公開:2008.02.24.
最終更新:2008.12.21.
PSJ渋谷研究所X謹製 MAIL


この「基礎知識」は、大きく「基礎編」「考察編1」「資料編」の3つに分かれています。最初に「基礎編」をざっとチェックすることを強くお勧めします。また、この【論点2】は「考察編」の2ページ目に当たり、まだ本文のほとんどが執筆されていません。
この「基礎知識」の記述では物足りない方、より詳細を知りたい方には、学習院大学の田崎晴明教授によるWebページ「『水からの伝言』を信じないでください」をお勧めします。

 

【ご協力ください】
いま手元に書籍の現物がないので、主に記憶に頼って書いています。お手元に資料等をお持ちの方、事実誤認や不適切な表現、過不足などにお気づきでしたらMAILまたはブログコメント欄などでご指摘ください。特に科学的手続きなどについて、ご指摘をお待ちしております。


【論点2】

科学的にあり得ないということはわかったけど、だからって信じちゃいけないってことはないよね?(未)

それって科学主義ってやつじゃないの?(未)

これを科学的な主張だと思う人なんか、いないんじゃない?(未)

信じ込んじゃっている人に、こんなこと読ませてもムダでしょう。ていうか、こんなの彼らは読まないのでは?(未)

家族や知り合いが信じています。信じるなと言うべきでしょうか。(未)


子どもの通っている学校の道徳の授業で、この話が採り上げられました。学校に苦情を言うべきでしょうか。(未)

大出版社から本やDVDが出たり、有名人が肯定的な態度をとっているんだから、本当なんじゃない?(未)

科学者のなかにも、支持者やニセ科学という評価は不当だと言っている人もいるよ?(未)

こんな常識で考えればわかることを、どうして信じる人がいるの?(未)

科学者(自然科学の専門家)が、どうして人の人生に口を出すわけ?


ごく一部の科学(自然科学)の人しか反論してないんじゃないの?

科学者は自分に都合が悪いから否定しているだけじゃないの?(未)

学校で教材にした先生は、事実だと信じてしまったの?(2008.12.21改稿)

江本氏って、人のいい、やさしそうなおじいちゃんにしか思えない。それが間違っているっていうの?(未)

植物だって音楽で生育がよくなるんだから、水だってそういうことがあるんじゃない?(未)

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【論点】

Q:科学的にあり得ないということはわかったけど、
   だからって信じちゃいけないってことはないよね?

A:なにを信じるのも自由ですし、信じるのに根拠はいらないかもしれません。
  しかし、大人としての責任からは自由になれません。

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Q:それって科学主義ってやつじゃないの?

A:科学的に間違っている点だけではなく、主張の内容が問題視されています。

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ここで困った問題がひとつ生じます。現代社会において「事実か否か」ということは、多くの場合「他の人も同じことを確認できるか」という問いと同じ意味をもちます。

Q:『水からの伝言』を科学的な主張だと思う人なんか、いないんじゃない?

A:「実験で確かめられている」と思ってしまった人は少なくないようです。

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Q:信じ込んじゃっている人に、こんなこと読ませてもムダでしょう。
   ていうか、こんなの彼らは読まないのでは?

A:強く信じている人には通じないでしょう。半信半疑の方に知ってもらえれば十分です。

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Q:家族や知り合いが信じています。信じるなと言うべきでしょうか。

A:頭ごなしの否定は逆効果のことが多いようです。

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Q:子どもの通っている学校の道徳の授業で、この話が採り上げられました。
   学校に苦情を言うべきでしょうか。

A:まずはその先生とお話ししてみて、それでもだめなら校長に、と順を踏みませんか。

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Q:大出版社から本やDVDが出たり、有名人が肯定的な態度を
   とっているんだから、本当なんじゃない?

A:「有名であること」は、必ずしも正しさを保障しません。

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Q:科学者のなかにも、支持者やニセ科学という評価は不当だと
   言っている人もいるよ?

A:確かにいます。最も多いのは、なにも発言していない科学者ですが。

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Q:こんな常識で考えればわかることを、どうして信じる人がいるの?

A:人は必ずしも「正しいと考えたことを信じる」わけではなく、
 「信じたいことを信じる」ということもあるようです。

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自分が言いたいことを言うために利用する

ビジュアルの美しさに騙された(雪の結晶と似ているとは思っても、同じものだとは思っていない)

Q:科学者(自然科学の専門家)が、どうして人の人生に口を出すわけ?

A:おそらく科学者たちは「人生への口出し」はしていません。
  ただ、「誤りの指摘」が「人生への口出し」に思えることはあるでしょうし、
  「人生への口出し」をしようとしている「科学者以外の人たち」もいるでしょう。

科学者たちは、多くの場合2つの検討を区別して行っています。

ひとつは、たとえば「そういう現象が起き得るか」とか「その『実験』は、実験として認められるだけの要件を備えているか」という点での検討。つまり「科学的な主張として認め得るか」という検証です。これは人生への口出しではありませんね?

もうひとつは、その現象や実験などから導き出された結論=主張の検討です。これは主張の内容によって科学の枠で収まるか、それとも科学の枠を超えてしまうか変わってきます。ふつうの科学の論文であっても、社会に対する影響の大きな話であれば、科学の枠の中の議論では収まらないでしょう。これは、場合によっては「人はどのように生きるべきか」ということまで踏み込まざるを得ないでしょう。つまり「人生への口出し」になっている可能性があります。
なぜ科学者がそんな話題にまで首を突っ込むのかと言えば、科学者も私たちと同じ社会に住む住人であり、その主張が社会にもたらす影響をある程度予測できる立場にいるからです。別の見方をすれば、社会が原子力を知り、遺伝子工学を知るうちに、現代社会が科学者に対して求めるものも広がっているため、その期待に応えているだけだと言ってもいいかもしれません。
ただし、ほとんどの科学者は、科学についての議論なのか、そうではないのかを区別して行います。たとえば「○○が主張している内容は、科学的と言えないだけでなく、社会への悪影響も懸念される」というように、2つのことを言っているのだと明らかにするのです。

科学者ではない私たちにとっても重要なことに、どのような主張もなんらかの根拠をベースに行われます。しかも、「それが根拠になり得るか」というのはほとんどの場合は論理の問題です。ですから、根拠となる現象が否定されてしまえば、その上に構築された主張は同時に無効になってしまいます。現象や現象と結果の関係については科学者しか判断できないような場合でも、こうなると主張の当否については誰もが判断できることがあります。わたしでも、あなたでも、科学者でも。

ここから2つの問題提起が始まります。
ひとつは、自然科学だけの問題ではないという問題提起です。あらゆる科学あらゆる学問にとって、この主張が妥当なものかを検討するチャンスを与えることになります。人文科学、社会科学などの、すべての論理的思考を要求される体系でどうとらえるか、ということになります。その結果は、すでにいくつかの形にまとまりを見せています(次項をご参照ください)。
もうひとつは「誤った根拠に基づいて考えることは容認されるべきか」とか「論理的な整合性のない言説を信頼してもいいのか」といった、論理的思考を人生に活かすべきか否か、という誰でも考えることが可能な問題提起です。論理的な思考が重視される世界に生きている限り、これは「誠実な思考とはどういうものか」という問いかけでもあります。

Q:ごく一部の科学(自然科学)の人しか反論してないんじゃないの?

A:学者だけでなく、さまざまな立場からの反論や批判があります。

自然科学の立場から「このような現象はあり得ない」という指摘もありますが、そのほかの立場からも「おかしい」「まずい」という指摘があります。言語学者、画家、中国古典文学者といった立場を代表として、ほかにコモンセンス(常識)という視点からの批判もあります(詳細は資料編のリンク集を参照してください)。

もっと言えば、私自身は科学者どころか最終学歴は高卒の、一介のライターであり編集者です。学問をきちんと修めたとさえ言えません。

もっとも残念なことに、教育の専門家である教育学者や教員、言葉を重視するはずの詩人などの文学者からのまとまった批判は、まだ見当たりません。

Q:科学者は自分に都合が悪いから否定しているだけじゃないの?

A:たとえば新しい原理や法則が見つかっても、科学者は困りません。

その論文で主張されていることが画期的であればあるほど、世界中の科学者が我先にと追試を行います。

Q:学校で教材にした先生は、事実だと信じてしまったの?

A:信じた場合もあれば、信じたわけではない場合もあります。

よく「子どもでもおかしいわかる」と言われることさえ珍しくない主張を、いいいオトナが、しかも教職にある人がなぜ信じてしまったのでしょう。それとも事実かどうかはどうでもいいと考えてしまったのでしょうか。

たとえば私が直接お話を伺った小学校の先生(次女の担任)は、内容について最初は「そんなことが本当にあるのだろうか」と半信半疑だったとのことです。ところが、次に述べるようないくつかの理由で授業に使ったのだと話してくれました。

  1. 実験で確かめられていると書かれていること
  2. それが書籍として公刊されていること
  3. すでに多くの実践例があること
  4. ビジュアルが教材として使用するのにうってつけだったこと
  5. そのビジュアルに、自分自身が感動したこと
  6. 自分自身が感動したものを教材に使うほうが説得力も増し、ベストだと考えたこと
  7. 「植物に音楽を聞かせると生育がよい」という話を聞いたことがあったので、そうであれば、こういうこともあるのかもしれないと考えたこと

つまり、内容に接したときには「事実かどうか半信半疑=保留」だった判断が、1.「実験」というターム 2.商業メディアへの掲載実績 3.同業者による先行例 7.類似に見える事例に関する知識 の4点によって覆されてしまったわけです。「真偽不明」から「真」に昇格してしまったと言ってもよいでしょう(もう少し詳しいことを、ブログ記事〈「水からの伝言」は、なぜ授業に用いられたのか〉にまとめました)。

学校でどのような採り上げ方がされたのかは、TOSSの実践例や授業案、学校だよりなどで確認できます(資料編:事例参照)。なかにはこの例(末尾の「追記」参照)のように、事実だと考えているのかいないのか定かでないようなケースもありますが、多くの例は素朴に「水伝の主張は、確認された事実だ」と受け止めていることがわかります。

信じたにしろそうでないにしろ、いずれの場合も最大の要因は「子どもたちの言葉遣いが乱れており、それをなんとかしたい」という思いがあり、即効性を求めてしまったということのようです。

たとえば理科の教員に相談していれば止められたのではないかとも考えられます。実際に、京都の教研集会(教員による授業実践の情報交換会のようなもの)では、「水からの伝言」を使用した道徳授業の実践が発表された際に、「非科学的」の一言で退けられているからです。

ですから、個人的には次のような状況が背景としてあると考えています。

  • 小中学校の教員は雑用に追われて教材研究に十分な時間を割くことが難しい
  • 目に見える成果を上げることを求められている
  • 総合的学習の時間に適した教材を求めている
  • 教員間の情報共有や相互批判があまり進んでおらず、よく言えば独立性が高いが、逆に言うと孤立している

Q:江本氏って、人のいい、やさしそうなおじいちゃんにしか思えない。
   それが間違っているっていうの?

A:いい人かもしれませんが、「いい人は間違わない」というわけではありません。

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Q:植物だって音楽で生育がよくなるんだから、水だってそういうことがあるんじゃない?

A:植物は生物ですが、水は無機物です。

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